50歳で新聞社を辞め、元“アフロ記者”となった稲垣えみ子さん。昨年、ソロ飲みの楽しみを会得するまでの顛末をユーモアたっぷりに描いたエッセイ「一人飲みで生きていく」を発表されるなど、お酒好きとしても知られる稲垣さんに一人飲み、お酒の楽しみ方をお聞きしました。

一人飲みの幸せとは?

―著書「一人飲みで生きていく」では、初めての店に一人で行っても楽しく飲み食べるためのふるまい方を会得される様子が描かれています。一人飲みをしようと思われたのは何かきっかけがあったのでしょうか?

新聞社に勤めていた頃、締め切りの関係で遅くまで仕事をしていたので、仕事がひと段落したら同僚を誘ってごはんに行くか、みたいなことが通常だったんですけど、案外断られたりすることがあるんですね。「今これやっちゃわないといけないんで」…とか言われて。もちろん嘘じゃないとは思うんですが、同じ人に2回断られると、これはもしや嫌がられているのかなとか考えたりして、案外面倒な作業でもあったんです。

で、気になっていたのが立ち飲み屋。当時働いていた大阪では、街のど真ん中に立ち飲み屋があるんです。カウンターだけ、外から見るとのれんの向こうに足がいっぱいある、みたいな。こういうところで、パッと串カツ食べてビール飲んでパッと帰ってくるっていうことができたらサイコーだなって思ったんです。でもあまりにもディープな世界に見えて、どう振る舞っていいかよくわからず、敷居が高くてどうしても入っていけなかった。

そうこうするうちにたまたま仕事で日本酒の取材をすることになって、勉強のために自称「日本酒に詳しい」同僚を誘っていろんな日本酒を飲みに行ってたんですが、そのうち私の方が詳しくなってきちゃって、そうなると、お前と行くと面倒くさいとか言われて誰も付き合ってくれなくなった。困ったなと思いつつ、そうだ、これは今こそ一人飲みに挑戦せよという天の啓示ではと。

―一人飲み、やってみていかがでしたか?

まあ、失敗の連続ですよね。理想としては、自然に店に入って、自然に隣の人とさりげなく会話して、感じよく帰っていく…みたいなイメージだったんですけど。なんか緊張もしてるし、女性だという自意識過剰もあって。で、そうだお酒に詳しいことを分かってもらえたら店の人に尊重されるんじゃないかと…今思うとまるで勘違いなんですが、妙な「知ったかぶり」なセリフを連発して結果浮きまくるという失敗を繰り返しました。

で、さすがにこれは自分の態度が根本的に間違っているんじゃないかと思ったんですね。店の人に認めてもらおうと思ったら、相手に自分を認めさせようとするんじゃなくて、まずは自分が相手をリスペクトすべきだったんじゃないかって。いい感じの店に行ったら、自分もそのいい感じの店の一員になって、まずその空気を乱さない、邪魔をしないで合わせていくことを心がけたんです。これが大当たりで、お店の人や常連さんが向こうから話しかけてくれるようになったり、お酒をおごってもらったりするようになって。自分にとっては大きな学びでしたね。

―本の中で、お店を船に例えられていましたね。

そうですね。同じ船にその時に乗り合わせた人みんなが協力して、航海をいいものにする、自分もその一員なんだっていう考え方をすれば、偉そうにしたり、自分だけ尊重されたいとか、そんなことは思ったりしないじゃないですか。

以前、テレビを見ていたら吉田類さんの「酒場放浪記」に、知っている居酒屋が出ていたんですけど、カウンターに座っている人が見事に知り合いばかりで(笑)。あとでそこにいた人に「吉田類さんどうだった?」と聞いたら、「いや~めっちゃ楽しかった!」って言うんですよ。「何が楽しかったの?」って聞いたら「う~ん覚えてないけど、なんか楽しかった」って。それって最高ですよね。その話を吉田類さんとトークでお会いしたときにお話したら、「自分が飲みに行った場所を楽しくする、それが酒飲みの基本です」とおっしゃっていて、そうだそうだ!って。ますます大好きになりました。

―本の中で紹介されている「一人飲みの極意12か条」で一番大事なのは何でしょう?

結論的には「極意その12」(隣の見知らぬ人の幸せを祈る。それこそが一人飲みの幸せである)ですよね。一人でカウンターに座ると、隣に誰が座るかわかりません。でもそれが誰であれ、隣に座った縁を感じつつ、話をしなくても「みんな大変だけどがんばろうね」って気持ちを持つ。そうしたらね、ただそれだけで自分が幸せになれるし、向こうも何となく幸せになってる感じがするんですよ。これって本当に奇跡だなといつも思います。

そういう意味では「極意その4」(間が持たなくなってもスマホをいじってはいけない)も大事ですね。周りに迷惑かけていないからいいじゃんってよく言われるんですが、結局スマホばかりやってる人って、自分の周りに拒否のバリアを張ってるんですよね。自分が人に受け入れて欲しければ、まず自分が周りを受け入れること。そうすれば、そこが自分の「居場所」になります。そんな場所を1個でも作ることができたら、口下手だって人見知りだって生涯孤独とは無縁に生きられるんじゃないでしょうか。

稲垣えみ子さん

Profile
1965年、愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒。朝日新聞社入社。大阪本社社会部、『週刊朝日』編集部などを経て論説委員、編集委員をつとめ、2016年に50歳で退社。以来、夫なし、子なし、冷蔵庫なし、ガス契約なしの「楽しく閉じて行く生活」を模索中。「一人飲みで生きていく」(朝日出版社)をはじめ多数の著書がある。「もうレシピ本はいらない」(マガジンハウス)で第5回料理レシピ本大賞料理部門エッセイ賞を受賞。

発酵食品には発酵食品を

―家ではどんな感じでお酒を楽しんでいらっしゃいますか?

私のベストな家飲みは夕方5時くらいの早めの時間に近所の銭湯に行って、盛大に汗をかいてから家で晩酌、というコース。一合のちろりでお燗をつけていることもあって、一日に飲むのは一合と決めています。

―夏でも燗酒を?

はい。日本酒はもともと、冷蔵庫のない時代からあって、お燗をしておいしくなるお酒としてつくられていたんです。私にとっての冷酒は、冷蔵庫や技術の発達で出てきた新ジャンルの酒、という認識です。でも今は「おいしい日本酒=冷酒」って思っている人が多いのが残念ですね。燗上がりする、って言うんですけど、お燗をするとふわ~っとおいしくなるタイプのお酒はもう本当に格別です。悪酔いもしないし。ただ、そういう燗上がりするお酒をつくっている酒蔵は、今、本当に少ないんです。

―好みのお酒はどんな風に見つけられるんですか?

お燗しておいしいお酒をプッシュしている信頼している酒屋さんに、お任せで一升瓶を2本ずつ送ってもらっています。銘柄は決めないで、私が好きそうなお酒を「おまかせ」で選んでもらうのが最高の贅沢。素人には及びもつかないような知識と経験をお持ちなので、自分で評価や価格を調べて取り寄せるのとは遥かにレベルの違った楽しみを味わえます。

稲垣えみ子さん

―お酒に合わせるおつまみはどんなものを?

私の場合、普通の夜ごはんにお酒をつける、っていう感じなので、ごはん、漬け物、味噌汁…わざわざお酒のアテを作ったりはしないですね。お酒は発酵食品なので、発酵している食べ物はよく合うんですよ。味噌も漬物も発酵食品ですからバッチリです。

―エッセイの中でも紹介されていますが、冷蔵庫なしの生活をされているんですね。

2011年の震災で原発事故が起こったときに節電をはじめたら、これが意外にも楽しい発見の連続で、止まらなくなってしまって。家電製品をひとつずつやめていって、最後に手離したのが冷蔵庫でした。冷蔵庫なしでどうやって食生活を成り立たせていけばいいのか分からなかったんで、時代劇を見たんですよ。江戸時代は冷蔵庫がないじゃないですか。ごはんを炊いておひつに保存、ぬか漬け、で毎食汁ものを作る。あ、これならイケるかも!と思って、それ以来そういう食生活になっています。

それに冷蔵庫がないと食材の保存のために発酵を使う。そうするとお酒と合うんですよね。冷蔵庫を使わないことで、自然に食生活がお酒向きの方に寄っていった。お酒のためにわざわざアテを作ることがないというのは、そういうことなんです。

稲垣さんにとってのお酒とは?

―稲垣さんにとってお酒とはどんな存在ですか?

やっぱり特別なものですね。一日の終わりに、今日も何とかやりきりました、お疲れさん、みたいな。サボったりした日はお酒がおいしくないんです。お酒をおいしく飲むためにがんばっているとこありますね。だから遊びで旅行に行って飲むの、そんなに好きじゃないんですよね。日常の中で飲むお酒が好きです。

―「いいちこ」を試飲していただいてもいいでしょうか? 燗酒がお好きとのことなので、「いいちこ空山独酌」、「いいちこ日田全麹」、「いいちこ民陶くろびん」をお湯割りで。

(それぞれ飲んでみて)私、この「いいちこ空山独酌」が一番好きです。お酒の味を表現するときに「フルーティー」って言うのは好きではないんですけど…これは大人っぽいフルーツを感じます。

―フルーツポンチや桃のコンポートのような香りと、ミルキーな旨味の余韻が特徴と言われています。

焼酎は味がないという思い込みがあって、お湯割りに梅干しを入れたりしていたんですけど、全然必要ないですね。そのままでおいしい。複雑で奥深い味と香りです。焼酎もどんな食べ物にも合いますよね。特別に合う組み合わせを探すのも楽しいですけど、私は食べ物を選ばない、何にでも合うお酒が好きですね。

稲垣えみ子さん

お酒を敬遠しがちな若い世代こそ一人飲みを

―お酒の楽しみについて何かメッセージがあればお願いします。

最近、若い人たちはあまりお酒を飲まないと聞きます。突然、日本人のアルコール分解酵素が減ったわけではないと思うので、お酒そのものというより、お酒を飲むことに付随する何かが嫌われる傾向にあるのかなと思うんです。無礼講という言葉があるように、お酒を飲むと人と人の距離が、良くも悪くも近くなる。そこが敬遠されているのかなと。だとしたら、もったいないなと思います。やっぱり人って近づいてみないと面白くない。その近づく行為を容易にしてくれるのがお酒じゃないかなと。

私には、一人飲みはハードルが高かったんですけど、若い人は会社の人と行くのは嫌でも、むしろ一人飲みは気楽なのかな、っていう気もするんです。お酒を楽しむことの入り口に、ぜひチャレンジしてみてほしい。会社にはない、いろんな人との出会いもあります。人と近づく体験を敬遠しない方が、人生は絶対豊かになるんじゃないかなっていう気がします。

―ありがとうございました!

※記事の情報は2022年3月25日時点のものです。