「孤独のグルメ」の原作者として知られる漫画家でミュージシャンの久住昌之さん。登場人物の井之頭五郎さんは下戸ですが、久住さんご自身は、ドラマ版の最後に原作者が紹介店を訪れる「ふらっとQusumi」コーナーでお酒を楽しまれている姿が印象的です。今回はそんな久住さんにお酒や焼酎のお話をうかがいます。

年間300日通った居酒屋で飲むのは、決まって「いいちこ」のお湯割り

――2021年7月に出たばかりのエッセイ集『麦ソーダの東京絵日記』には“麦ソーダ(ビール)”だけでなく、焼酎も登場しますね。

そうそう、焼酎のロックが炒飯に合うっていう話ね。エッセイで紹介した赤坂のお店で教えてもらったんだよ。

――意外ですけど、言われてみれば間違いなさそうな組み合わせです!

しっくりくるでしょ。それはそうと僕、実は「いいちこ」をすごく飲んでいるんですよ。ちょうど「孤独のグルメ」を書き始めた30代の頃、仕事場の近くに、仕事が終わると絶対に行く店があったんです。「栄(えい)ちゃん」っていう居酒屋さん。夫婦でやってる、本当に地味だけど、すごく真面目な店なんですよ。

3年くらい、年間300日は通ったかな。今の年齢からほぼ毎日同じ店に行くってことは一生ないと思うんで、一生で一番通った店ってことになると思います。そこで飲むのは、ビールから「いいちこ25度」のお湯割り、って決まってました。

――年間300日お店に通われていて、毎回「いいちこ」を飲んでいたということは、その時期年間300回は「いいちこ」を飲んでいたということになりますか?

そうです、そうです。その3年間は「いいちこ」ばっかり飲んでましたね。

――ちなみに、おつまみはどんなものを?

一番よく食べたのは、一人前の肉豆腐ですね。その店で鍋ものを頼むと、2人前をカセットコンロで出してくれる感じだったんですけど、僕はいつも一人で行ってたから、鍋焼きうどんの鍋に一人前で作ってくれるようになって。それは年間200杯くらい食べました(笑)。

でも少し前に店がなくなっちゃって。ものすごいショックでしたね…。

久住昌之さん

Profile
1958年東京・三鷹市生まれ。美学校で赤瀬川原平に師事する。1981年、泉(現・和泉)晴紀と組んだ「泉昌之」として、漫画誌「ガロ」にてデビュー。1999年には実弟・久住卓也とのユニット「Q.B.B.」による『中学生日記』で、第45回文藝春秋漫画賞を受賞。谷口ジローとの共著『孤独のグルメ』、水沢悦子との共著「花のズボラ飯」シリーズなど、マンガ原作者として話題作を次々と発表する一方、エッセイストとしても活躍。

恵まれていた「お酒との出会い」

――お酒の飲み方を、どなたかに教えてもらったりしたことはあるのでしょうか?

いやいや、そんなのないですよ。でも大学で音楽を一緒にやっていた先輩が、若いのに立ち飲みとかも好きで。その人と話が合って、よく一緒に飲みに行ってましたね。当時は新宿や市ヶ谷にいっぱい角打ちがあって、1枚5円のせんべいをつまみにしてたりして。日本酒の熱燗がコップ1杯100円で出てくる自動販売機がある店もありましたね。お客さんはおっさんばっかりだから、若いのが行くと店のおばちゃんがサービスしてくれたりしてね。

大学時代は音楽ばっかりやってたんだけど、そのサークルの奴らもみんな酒好きで。一気飲みなんてもったいない、おいしく飲めばいいじゃない、みたいなそういう感じだったんで、酒との出会いとしてはすごくよかった。ラッキーでしたね。

――よいお酒との出会いだったんですね。焼酎との出会いは覚えていらっしゃいますか?

20歳の頃、神保町に今もある美学校の赤瀬川原平さんの教室に通っていたんですよ。その頃の赤瀬川さんは、現代芸術家としては有名だったけど、芥川賞を獲ったり、流行語にもなった「老人力」を出したりする前で。

週に1回、昼は実技で夜は講義。夜になると安い芋焼酎が一升瓶でドンっておいてあって、シャイな赤瀬川さんは、その芋焼酎のお湯割りをちびちび飲みながらだとリラックスして話せるみたいで。「みんなも飲んでください」って(笑)。焼酎体験はそれが初めて…いや違うな。その頃流行りだした甲類焼酎を飲んだのが先かな。

――本格焼酎デビューは美学校、ってことでしょうか。

僕の中では芋焼酎は美学校の味なんだよね。講義はいつも9時頃に終わって、その後みんなで神保町の居酒屋に行くんです。イラストレーターとして独立したての南伸坊さんや、青林堂(伝説的漫画誌「ガロ」の版元)の編集者だった渡辺和博さんが合流したりして。毎回面白くてね。僕は20歳くらいだったけど、自分が面白いと思ったことを同じように笑ってくれる人がいるんだ、しかも大人で、っていうのがすごくうれしかったのを覚えてますね。

久住昌之さん

――お酒の場ならではのコミュニケーションかもしれませんね。

うん、そうだね。もうひとつ鮮烈な思い出があって。僕は22歳のときに「ガロ」でデビューしたんです。編集部は材木屋の2階で、夕日があたって夏は暑くてたまんないんですよ。エアコンもなくてね。あるとき青林堂に行ったら、社長の長井さんに「飲みに行こう」って誘われて。

ついて行ったら「お風呂に入っていこう」って言うんです。神保町に今もある銭湯に連れていかれて、あんまり話したこともないおじさんと2人で裸になって風呂に入るって変な感じ…と思いながら、ものすごいカラスの行水の長井さんに一生懸命ペースを合わせて風呂から出たら、「じゃ、飲みに行こう」って。

安いチェーン店の居酒屋にヒュッて入って「生ビールでいいよね」って。ビール2杯くらい飲んでパッと帰ったんだけど…あ、あれはビールをおいしくするための接待だったのか!と若かった自分は帰り道くらいにわかりました。

なにしろ貧乏な会社だったから、お金をかけずにビールをよりおいしく飲むために、銭湯で汗を流してさっぱりしたのか…粋なことするなぁって。そういう飲み方は今でもいいなと思ってます。

お酒は“酔うこと”じゃなく“味”が好き

――エッセイ集「ひとり飲み飯 肴かな」では、寿司パックとあったかい緑茶割り、もつ焼きとウーロン酎など、「いいちこ」をいろんな飲み方で楽しまれる様子が描かれています。

「いいちこ」は、割とどんな飲み方でも合う感じですよね。

――すっきりと飲みやすいからでしょうか。

そう、自分にとっておいしかったからね。僕は飲みやすいって表現、好きじゃないんだよね。薬じゃないんだから、酒が飲みにくいなら飲まなきゃいいのにって言いたくなる(笑)。僕は昔からお酒の何が好きって、味が好きなんですよ。酔うことじゃなくね。だからなんでもいいから惰性で飲むとかは嫌い。仕事やライブが終わったあとにおいしい酒を飲みたいって気持ちがすごくある。

久住昌之さん

――他にはどんなお酒がお好きなんですか?

年代で変わったりしますよね。栄ちゃんに通っていた30代は「いいちこ」時代、その後バーボン時代、日本酒時代とか。

――コロナ禍でお店での飲酒がままならない期間もありましたが、お酒を飲まれる機会は減りました?

いや、仕事が終わったら絶対飲みます。そんなにたくさんは飲まないけど、貴重な自分の時間って感じです。

「いいちこスペシャル」「いいちこフラスコボトル」の感想は?

――「いいちこ」を持参したんですけど、試飲していただいてもよろしいでしょうか? まずはこちら「いいちこフラスコボトル」をロックでどうぞ。

ああ、おいしいですね。麦焼酎のすごく上品なやつって感じだね。甘みもあるし…おいしい! お湯割りにしてもいいかもね。

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久住昌之さん

――次は「いいちこスペシャル」をどうぞ。こちらは樽で長期貯蔵した麦焼酎です。

ウイスキーっぽいというか、樽の感じありますね。口当たりは「いいちこフラスコボトル」の方がいいなと思ったけど、これもおいしいですね。余韻がより甘い感じ。うんうん、これもいい。これはソーダ割りがおいしいね。家でゆっくり飲むのがいいんじゃないかな。

▼「いいちこスペシャル」の詳細はこちら
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「いいちこスペシャル」誕生物語|秘められた大麦のポテンシャルを樽に詰めて
「いいちこスペシャルは“カスタードクリームの香り”。世界的ソムリエが香りや味わいを解説!〈いいちこテイスティングノート⑥〉

久住昌之さん

――今日は楽しいお話をありがとうございました!

※記事の情報は2021年10月26日時点のものです。