焼酎の本場=九州というイメージですが、なぜ焼酎は九州でよくつくられているのでしょうか? 製法や蒸留技術が日本に伝来した経緯や焼酎づくりが発展していった背景など、焼酎の起源と歴史について紐解いていきます。
【焼酎の歴史①】蒸留技術は5000年前の古代メソポタミアで生まれた!
焼酎づくりに欠かせない「蒸留」という技術。ある「液体」を加熱してその一部を「気体」にし、その気体を冷やすことで再び「液体」にして取り出す行為です。蒸留の歴史の起源は、今から5000年ほど前の古代メソポタミアにあるとされています。当時はお酒ではなく、スパイスや香油を精製する目的で蒸留技術が使われていたようです。
「蒸留酒」がいつ、どこで誕生したかはさまざまな説がありますが、蒸留酒をつくる技術を確立したのは、中世の錬金術師によるという説が有力です。
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【焼酎の歴史②】蒸留技術はどのように日本に伝わったのか?
焼酎のもととなったのは、中国や東南アジアからもたらされた蒸留酒と言われています。
古代メソポタミアで生まれた蒸留技術は、その後お酒をつくる手段として確立され、13~14世紀までに中国と東南アジア諸国に到達。そこでつくられた蒸留酒が、蒸留技術や製法とともに日本に伝来しました。
単式蒸留焼酎が初めて日本でつくられたのは、15世紀頃の沖縄と言われています。当時、東南アジアと盛んに交易を行っていた琉球王国に、シャム国(現在のタイ国)から「南蛮酒」と呼ばれる蒸留酒が伝わり、これが「泡盛」の起源となったというのが一般的に知られている説です。一方、九州への伝来ルートは琉球説、中国説、朝鮮説などいくつかあり、はっきりしたことはわかっていません。
【焼酎の歴史③】フランシスコ・ザビエルも「焼酎」の存在を知っていた!
日本で焼酎がつくられていたことが分かる最古の記録は室町時代のものです。当時日本行きを考えていたスペインの宣教師フランシスコ・ザビエルが、鹿児島の山川港に滞在していたポルトガルの貿易商人ジョルジュ・アバレスに日本に関する報告書を依頼。1546年に書かれたその報告に「山川には米からつくる蒸留酒(オラーカ)がある」という記述があることから、この頃にはすでに山川地方で米焼酎が飲まれていたことが明らかになりました。
日本の歴史に「焼酎」の文字が初めて登場するのもちょうどこの頃のこと。鹿児島県伊佐市の郡山八幡神社に残る古い木片に、なんと「社殿補修のとき、施主がたいそうケチで一度も焼酎を飲ませてくれない。えらい迷惑なことだ」と落書されているのが見つかったのです。これは1559年に本殿改築に携わった大工が書いたとされており、「焼酎」の文字としては日本最古のものと言われています。
【焼酎の歴史④】中国から伝わり独自に発展していった日本の麹
焼酎をつくるうえで、蒸留技術とともになくてはならないものが「麹(こうじ)」です。麹を使う技術は、一説では中国から稲作とともに伝わったとされています。
日本の酒づくりに使用される麹菌には「黄麹」「白麹」「黒麹」の3種類あり、焼酎づくりには主に「白麹」と「黒麹」が使われますが、もともとは古くから日本酒や味噌、醤油づくりに用いられていた「黄麹」が焼酎の製造にも使われていました。しかし、黄麹はクエン酸を生成しないため、九州南部の温暖な土地では夏場に焼酎もろみが腐敗することも。
その救世主となったのが、近代焼酎の父と呼ばれる河内源一郎によって20世紀に入り発見された「黒麹」と「白麹」です。「黒麹」は泡盛づくりに使われている、暑さに強く、クエン酸を大量に生成する麹菌。「白麹」は黒麹からの突然変異で生まれた麹菌で、クエン酸を生成し、かつ、より安定した麹づくりができます。この「黒麹」と「白麹」の発見により、焼酎の品質は飛躍的に向上したのです。
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【焼酎の歴史⑤】焼酎の発展を支えたプロフェッショナル集団とは?
室町時代から庶民の間でも広く親しまれていた焼酎。明治時代までは日常酒として各家庭で焼酎がつくられていましたが、明治32年(1899年)に酒税法が施行されて個人で自由にお酒をつくることが禁止に。集落単位で製造免許が与えられ焼酎づくりが行われるようになると、各蔵は生き残りをかけて技術に磨きをかけるようになります。焼酎の近代化が急速に進んだ時代です。
この頃、鹿児島の地に誕生したのが焼酎づくりのプロフェッショナル集団「黒瀬杜氏」です。黒瀬杜氏は前述の黒麹菌を焼酎づくりに取り入れ、今では主流となった「二次仕込み」を九州各地に伝承するなど、焼酎の品質向上に大きく貢献しました。ちなみに二次仕込みとは、まず麹に酵母、水を加えてもろみ(酒母)をつくり、後から主原料を加える方法のこと。それまでは「どんぶり仕込み」と呼ばれる麹、酵母、主原料、水を一気に投入して一度で仕込みを終える方法がとられていましたが、この方法だともろみが腐敗しやすいという難点があり、改良が望まれていたのです。
明治の終わり頃には、英国由来の「連続式蒸留機」が日本にもたらされました。不純物がなく純粋なアルコールを抽出できるようになったことで原料の風味をほとんど感じさせない「連続式蒸留焼酎(焼酎甲類)」が誕生。原料にサトウキビ糖蜜やコーンなどを使い安く簡単に入手できる焼酎甲類は、大正時代に広く知られるようになりました。
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【焼酎の歴史⑥】なぜ九州は焼酎王国になったのか?
国税庁の発表によれば2019年時点、九州にある本格焼酎の製造免許場の数は330件。全国にある焼酎蔵の4割近くが九州に集中しています。なぜ、九州は“焼酎王国”として発展してきたのでしょうか?
ご紹介したように、九州は大陸から蒸留技術が早期にもたらされた場所です。また、日本酒づくりに向かない温暖な気候でも品質の良い酒がつくれるよう、麹づくりや仕込みの技術を改良してきました。焼酎の主要原料である大麦やさつま芋の栽培に向いていた、というのも理由のひとつです。本格焼酎はこのような九州の地理的・歴史的背景のなかで誕生し、この土地ならではの気候や風土を生かしながら育まれていったお酒なのです。
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〈参考文献〉
鮫島吉廣/著『焼酎の履歴書 (発酵と蒸留の謎をひもとく)』イカロス出版
鮫島吉廣/監修『ゼロから始める焼酎入門』KADOKAWA
邸景一/著『本格焼酎を楽しむ事典』西東社
令和元年度 酒類の製造免許場数等|国税庁
お酒のはなし【特集:焼酎1(概要)】(改訂版)|独立行政法人 酒類総合研究所
※記事の情報は2023年2月7日時点のものです。