「いいちこ」のCMと言えば思い浮かぶのがビリー・バンバンの透明感のある歌声。昭和、平成、令和と35年にわたって「いいちこ」のCMを担当しており、その歌声は「いいちこ」の音のイメージとして定着しています。今回はビリー・バンバンの菅原進さんをお招きし、「いいちこ」のCMソングを手掛けるきっかけや、「いいちこ」の楽しみ方、そして最近話題を集めている動画サイトでの活動などについてうかがいました。
あっという間にできた、デビュー曲「白いブランコ」
―菅原さんが音楽を始めたのは、いつ頃でしょうか?
子どものころから歌は好きでした。ビリー・バンバンは、もともとは学生時代にせんだみつおを入れた友達4人で組んだバンドです。当時はカレッジ・フォークブームでよくコンサートに出ていました。僕たちビリー・バンバンと、キャッスル&ゲイツ、そしてジャックスがカレッジフォークの3大グループで、アマチュアながら人気がありました。
―その後、ビリー・バンバンは兄弟デュオとしてデビューされるのですね。
そうです。父が作詞・作曲家の浜口庫之助先生と知り合いだったので、父に頼み込んで紹介してもらいました。それで兄とレッスンをしていただいていたところ、浜口先生に「二人で歌ってみないか?」と言われ、兄弟デュオとして活動することになりました。
―兄弟だとやはり声質やリズム、ハーモニーが他人と歌うのとは違いますか?
声帯が似ているんでしょうね。兄弟でハモると倍音が豊かになって、深みが出ます。僕たちはシャウトしないで素直に歌うので、より響きのよい歌声になるのだと思います。
―聞いたところによると、浜口先生の教室のお庭にデビュー曲のタイトルでもある「白いブランコ」があったそうですね。
そうなんです。僕がそのブランコに座ってギターを鳴らしていたら、同じ浜口先生の教室で作詞・作曲の勉強をしていた小平なほみさんがやってきたんです。一緒にブランコに座ってジャランとやっているうちに「白いブランコ」ができました。あっと言う間にできちゃった曲なんですよ。
―そして「白いブランコ」でデビューして、いきなり大ヒットしてしまうんですね。
はい。ただ、僕が作ったときはフォーク・ロック調の曲だったんですが、デビューが決まって、プロの編曲家の先生にアレンジをお任せしたら、全然イメージが違ってね。ディレクターに「お願いします。やり直しさせてください」と直訴しましたが「馬鹿野郎」と言われました(笑)。当時の作曲家、作詞家、編曲家はすごく立場が上で、新人歌手が口答えできるような存在ではなかった。そういう時代でした。
―まだ吉田拓郎も井上陽水も登場していない、世の中にフォークが認知されるよりも前の時代ですよね。
僕らがフォークのパイオニアだと思います。フォークってチェックのシャツにパンタロンでギターを抱えて…みたいなイメージですよね。でも当時僕らがその格好でテレビ局に行ったら、「早く衣装に着替えろ」と言われました。あの頃の歌手は背広に蝶ネクタイで歌うものだった。そういうものをひとつひとつぶっ壊していったんですよ。
Profile
学生時代よりカレッジ・フォークで人気を集め、1969年、兄・菅原孝氏との兄弟デュオ「ビリー・バンバン」として、キングレコードより「白いブランコ」でメジャーデビュー。20万枚を超える大ヒットで、その年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たす。1987年より30年以上に渡り、本格麦焼酎「いいちこ」の歴代CM曲を手掛け、その都度新曲が話題に。菅原進氏ソロによるシングル「時は今、君の中」は、CMサウンドセレクションCM音楽BEST6に選ばれる。2019年にビリー・バンバンとしてデビュー50周年を迎え、現在はYouTubeで活動の幅を広げるなど、個人としての活動も精力的に行なっている。
アートディレクターの河北秀也さんに声をかけられたのがきっかけ
―80年代に入ると「いいちこ」のCM曲を手掛けられます。きっかけはどんなものだったのでしょうか?
僕が「いいちこ」のCM曲を手掛けたのは1987年からですが、その前年に「いいちこ」のポスター展が銀座でありました。その展覧会にゲストで呼ばれて「さよならをするために」という曲を歌ったんです。そうしたら、「いいちこ」のアートディレクターを務めている河北秀也さんが聴いてくださって、僕らの歌声と「いいちこ」の透明感が共通しているので、ぜひ「いいちこ」のCM曲を歌ってほしいとオファーされました。それがきっかけ。それからずっと「いいちこ」のCM曲を手掛けています。もう10曲以上作っていますね。
―「いいちこ」のCM曲はどのように作るのですか。
最初の曲はCMの映像素材であるドナウ川の映像を見て作りました。「時は今、君の中」という曲です。その映像の中の水鳥が羽ばたくところを見たら、曲のフレーズが浮かんできました。
それ以降は、先に僕が曲を作ってプロデューサーの河北さんに持っていくようになりました。その曲を河北さんが聴いて、曲のイメージに合った場所に撮影に行くというパターンで、河北さんには世界中いろいろなところに撮影に行ってもらいました。
―「いいちこ」のための書いた曲で、菅原さんご自身がお気に入りの曲はありますか。
たくさんあるんですよね。「君の詩」、「これが恋というなら」、それに「遅すぎた季節」とか。自分で言うのもおかしいけど、いい曲作っているなあと思う(笑)。どれも「いいちこ」のCMで使うつもりで「いいちこ」を思いながら書いたから、世界観に合うようになっていると思います。
「いいちこ」は繊細さがいい
―お酒の話をうかがいます。CMを担当する以前から「いいちこ」を飲んでいらっしゃったそうですが、どんなところが魅力ですか。
「いいちこ」は飲み口がすっきりとしているでしょう? そこが好きなんですよ。僕、クセのある焼酎が飲めなかったんですね。そんなときに「いいちこ」に出会って、「あ、これは繊細でおいしいなあ」って。今はクセの強いタイプも飲めるようになったけど、やっぱり「いいちこ」は特別なんだよね。
―「いいちこ」は、どんな飲み方がお好みですか。
出会った頃はロックが多かったけど、それから水割りにいったり、炭酸割りにいったり。一時期好きだったのがシークヮーサー割り。シークヮーサーはビタミンCが多いでしょう? だから風邪をひかないようにって、ツアーなんかにもシークヮーサーを持っていってね。「いいちこ」は現地調達。コンサートが終わった後にみんなでよく飲みましたよ。
―菅原さんにとって、お酒とはどんな存在ですか。
やっぱりミュージシャンとお酒は切っても切れない関係だね、特に若いときは。昔のミュージシャンは、とにかく飲みました。僕のデビュー当時なんか、仕事が終わって居酒屋に行くと、知らない人が10人ついてきて、みんなで一緒に飲む。そしてその日のギャラを全部使っちゃう(笑)。最近はみんなで会ったときに飲むぐらいです。「いいちこ」の水割りを1、2杯でちょうどいいぐらいかな。飲むと、やっぱり楽しいですね。
カッコイイと思わない? 90歳になって兄弟で歌ってるって
―菅原さんは、動画配信にも積極的でいらっしゃいますね。フォークの世代でやられている方はほとんどいらっしゃらないですよね。
YouTubeやニコニコ動画を始めたのは、ニコニコ動画でメカPさんという方が、アイドルマスターの小早川紗枝さんが歌う「薄紅」を、ビリー・バンバンのボーカロイドを作って歌わせているのを見たのがきっかけです。僕らの歌声を切り貼りして別の曲を歌わせるなんて、面白いことを考えますよね。それならその曲を本当に僕が歌ったら面白いんじゃないかなって思って「薄紅」を歌ってニコニコ動画にアップしたら、ちょっとバズりましてね。そこから興味を持って、いろいろな歌を歌っては公開するようになりました。この前は、さいたまアリーナで開催した「ニコニコ超パーティー2022」にも出演させてもらいました。10代、20代の若い人たちが僕の歌で盛り上がってくれる。すごく楽しかったです。
―YouTubeにアップされていたAdoさんの「うっせぇわ」をカバーした『「うっせぇわ」をビリー・バンバンの菅原進(73歳)が歌ってみた』も拝見しました。
うるさくない「うっせぇわ」(笑)。これは100万回以上再生されているんですよ。僕のサウンドでゆっくり歌うと、「あ、こういうことを言っているんだ」「そういう意味なんだ」って改めて歌詞がよく分かって、それが若い人たちにも新鮮に受け止められたんだろうなあ。
―「いいちこ」が小道具として登場していて、思わず「クスッ」としてしまいました。
そうそう「いいちこ」をちょっと飲んだりしてね(笑)。やっぱり僕にとって「いいちこ」は切っても切れない存在だから、僕の動画にはだいたい「いいちこ」が出てきます。
―それくらい大事に思ってくださっているんですね。
もちろんです。「いいちこ」あってのビリー・バンバンだと、つくづく感謝しています。
―今後ビリー・バンバンとして、どんな活動をしていきたいと思いますか。
兄は8年前に脳出血になり、車椅子ですが、リハビリも頑張ってますし、できれば来年、何かできたらいいなと考えています。90歳までは歌っていたいなって思っています。カッコイイと思わない? 90歳になって兄弟で歌ってるって(笑)。
とてもカッコイイです。90歳のビリー・バンバンが歌う「いいちこ」CMを、ぜひ拝見したいですね。楽しみにしています。
※記事の情報は2022年12月27日時点のものです。